140年以上続く日本の新聞産業は、売上部数の低下による凋落が激しい。 だが、世論への影響力は、まだまだ大きいと言っていいだろう。 なぜなら、新聞普及率は、今でも世界トップレベルだからだ。
そんな日本の新聞について、穴埋め問題形式で出題したいと思う。 よければ解いてみてほしい。
小室真司「新聞学入門 問題集」からの出題
新聞の部数
日本の新聞の[① ]当たりの部数は、長い間、1.0部以上を維持してきたが、[② ]年に初めて0.98部と1を割り込み、新聞の凋落を示したと言われている。 だが、人口当たりの部数は、今でも世界トップレベルである。 インターネットで記事を読む人、駅の売店やコンビニエンスストアで買う人や、有料電子版の新聞を読む人が増えたため、[① ]当たりの部数は減少しても仕方がないところだ。
1997年の[① ]当たりの部数は1.18部あったが、2015年では[③ ]部まで落ち込んでいる。 また、日本新聞協会によると、1997年の新聞発行部数(朝夕刊セットを1部として計算)は5377万部以上あったが、2015年では[④ ]万部まで減少した。
全国規模の新聞会社
新聞は、[⑤ ]紙と地方紙と分類される。 [⑤ ]紙は、[⑥ ]、[⑦ ]、[⑧ ]、[⑨ ]、[⑩ ]の5社。 日本の新聞と、アメリカ・ヨーロッパの新聞との大きな違いは、3つある。
1、日本では、毎日、新聞を家庭やオフィスに届ける[⑪ ]の割合が、群を抜いて高い。
2、日本では、高級紙と[⑫ ]紙との厳格な差があまりない。
3、日本では、[⑤ ]紙が5社もある。
新聞の広告収入のシェア
総広告費の媒体別構成比で、新聞のシェアが落ち続けている。 電通によると、1975年には33%ほどあったシェアが、2015年には[⑬ ]%になってしまったという。 2015年のインターネット広告のシェアは[⑭ ]%もある。
[⑮ ]年に、新聞11.4%、インターネット11.9%となり、インターネット広告が新聞広告を追い抜いた。
日本の新聞の始まり
江戸時代には、幕府の官報や、庶民が発行する[⑯ ]版が売られて出回っていた。 1868年の戊辰戦争の頃から、新政府側と旧幕府側からニュース本が多くあふれ始めたが、出版物を許可制にする太政官布告が出され、すぐに多くが廃刊にされてしまう。
しかし、新政府は1869年には[⑰ ]印行条例を発布、政論以外のニュースを奨励し始めた。 1870年末には[⑱ ]新聞が創刊される。 1872年に、[⑱ ]新聞、新聞雑誌、日新真事誌、[⑲ ]新聞の4紙が各府県の官公庁用に買い上げられ、全国に新聞[⑳ ]所ができ、本格的な普及がスタート。
だが、これらはいわゆる御用新聞であり、ジャーナリズムの要素はほとんどなかった。
上記の出題は、下記の本を参考にして作られた。 メディア学を知るのにいいので、お勧めする。
渡辺武達 山口功二 野原仁 世界思想社 2011-01-17
伊藤明己 世界思想社 2014-09-06
解答
①1世帯 ②2008 ③0.80 ④4424 ⑤全国 ⑥⑦⑧⑨⑩読売・朝日・毎日・産経・日本経済 ⑪戸別配達 ⑫大衆 ⑬9.2 ⑭18.8 ⑮2009 ⑯かわら ⑰新聞紙 ⑱横浜毎日 ⑲東京日日 ⑳縦覧
日本の新聞は、全国に多くの記者・従業員を抱えている。 そのネットワークや取材力の高さが、記事の質を上げていた。 しかし、年々減少する利益が、そのクオリティーを保つのを難しくしている。
結論
ジャーナリズムの質を保つためにも、優良メディアの記事は買うべし!
小室 真司