みなさん、こんにちは。最近、コミュニケーション論に挑戦中の宮台直樹です。
ぼくは、2025年までにカフェバーを持つという夢があります。 いや、夢というより目標ですね。 その目標を実現するために、いろんなことに挑戦中なのです。
バーの経営者としては、お客様やスタッフとのコミュニケーションは大切ですよね? だから、ちゃんとコミュニケーション論を勉強したかったんです。 人文・社会科学に、ミュニケーション学・コミュニケーション論ってあるんですよそれがまた。 というわけで、本屋に行ってみました。
う~ん・・・いっぱい本があってどれがいいか分かりません・・。 (ちなみに上の写真に写っている人は、ぼくではありません。)
コミュニケーション論について書かれた本の中から、入門レベルらしきものを数冊購入し、自分の部屋で読み始めました。 すると最初の章に、「コミュニケーションとは何か」と題名が付いています。
. . えっ・・・ 「コミュニケーション」をきちんと定義しようとすると・・
研究者によってなされた定義だけでも軽く100を超えるらしい・・。(苦笑)
コミュニケーション論入門テキスト(参考書)による定義
コミュニケーション論をつかむ 辻 大介、是永 論、関谷 直也 有斐閣 2014-05-08 によると、
私たちは日々コミュニケーションしながら暮らしている。 だから、あらためて「コミュニケーションとは何か」と問われても、あたりまえすぎて答えるまでもないように思われるかもしれない。 けれども、「コミュニケーション」をきちんと定義しようとすると、これがなかなか難しい。 研究者によってなされた定義だけでも軽く100は超える( F.E.X.Dance & C.E.Larson,1976 )。 それは、あまりにさまざまなものが「コミュニケーション」と呼ばれていて、それらに一貫する特徴や要素を見出すことがきわめて困難だからだ。
確かにそうかもしれない・・ ぼくが「コミュニケーション」って聞いてすぐに思いつくイメージは・・
「会話を交わす」とか、「気持ちを伝えあう」って感じです。
なんて抽象的なんでしょう。(苦笑)
どんどん考え続けていくと、「コミュニケーション」と呼ばれるものすべてに共通する特徴を探りあてるのは、ほとんど絶望的に思えてくる。
そして、おらくそれは正しい。
これが欠けると「コミュニケーション」ではなくなるというような決定的な何かがあるわけではなく、「コミュニケーション」という概念は、複数の特徴が折り重なってできている ー ただしそれらの特徴の一部は欠けていてもいい ー のである。
このような概念のことを、専門用語で家族的類似による概念という。
家族的類似 ( family resemblance )顔のよく似た家族だな、と感じるときでも、1人ひとりを見比べていくと、似方が違っていることがある。
例えば、息子は目元が母親とそっくりだが、鼻の形は父親と同じで、逆に、娘は母親とは鼻が、父親とは目元が似ている、というふうに。
全員に共通する特徴はないのだが、いくつかの特徴をそれぞれが部分的に分けもっていて、全体として何となくひとまとまりをなしている。これを哲学者のL.ウィトゲンシュタイン(1976)は「家族的類似」と呼んだ。
ここでは、そのような特徴として、①人と人との間(関係)で、②意図をもってなされる、③情報伝達の、営み・過程であるという3点を取り出して、「コミュニケーション」の緩やかな定義としておきたい。
3点全部がそろわなくてもいい定義なんて、定義と言えるんでしょうか・・・。(笑)
この本は、コミュニケーションについて220ページ以上かけて解説しているんですが、それでもコミュニケーション論のごく一部らしいです・・。
・・・・・・・・。
ごめんなさい・・・、ぼくには「コミュニケーションとは何か」を考えるには、人間が浅すぎました・・。
でも、コミュニケーション論って面白いです!
挑戦しがいがありますね。(^_^)
宮台 直樹