「ラジオ」
私はこの言葉を聞くと、「ながら勉強」というフレーズが頭に浮かぶ。
中学時代、私の部屋にはテレビがなく、ラジオしかなかった。 家には3台テレビがあった。 しかし、「勉強の妨げになる」という理由で、私の部屋にはラジカセしか置けなかったのである。 私は親に「ラジオをつけながら勉強すると、外の雑音が耳に入らないから集中できる」と言って、ラジオをよく聞いていた。 「ながら勉強はするな!」と、よく怒られたものだ。
どのようなものにも歴史があるように、ラジオにも歴史はある。 だが、私達はラジオを歴史的に眺めるということをほとんどしない。
今回はラジオの歴史について、私が作った問題を出してみたいと思うので、挑戦してみてほしい。
小室真司 「メディア研究 初級教科書の問題集」からの出題
ラジオの歴史をさかのぼると、19世紀後半の無線技術の発明にたどり着く。 19世紀半ばから、銅線を使った有線電信網はあった。 しかし、その有線電信網を作るには、多額の資金が必要のうえ、ケーブルの維持管理費もかかっていた。
1895年に、イタリア人のグリエルモ・[③ ]が、無線電信の実用化に成功。 そして、それまでの有線電信の代わりとして発展していったのである。
無線電信が登場した当初は、船の航海や軍事目的にのみ使われるものと思われていたが、1906年には、フェセンデンが音声の双方向の[④ ]に成功し、一般大衆へ急速に広がっていった。
アメリカやヨーロッパでは、大気が澄む夜中になると、アマチュア無線家たちが遠くに住む仲間たちと交信をするようになった。 当時の先進的な無線マニアたちは、世界全域を繋ぐネットワークを作り、[⑤ ]主義社会を発展させていくという高尚な夢を抱いていた。
当時の若者たちにとって無線とは、双方向のコミュニケーションツールのことであった。 しかし、しだいに無線はラジオと呼ばれるようになっていき、マスメディアとしての意味合いが強くなっていった。
つまり、大衆に向けての一方通行の伝達ツールになったのである。 多くの人々・事業者が電波を使うようになったため、混信が頻繁に起こるようになり、行政機関は[⑥ ]を割り当てる法制度を整えることになる。 そして、大衆が関心を抱くのは、ラジオ番組での流行歌やドラマなど、いわゆるコンテンツになった。
1949年の世界のラジオ受信機の登録数は、約1億5千万個になり、1960年には、約3億7千万個まで膨れ上がった。 しかし、[⑦ ]の普及により、ラジオの広がりはおさまっていくことになる。
上記の出題は、下記の本を参考にして作られた。 メディア学・メディア研究を勉強するのに最適なので、お勧めする。
水越伸 放送大学教育振興会 2014-03-01
脇阪豊・吉村淳一 編著 同学社 2013-05-01
解答
①アメリカ ②1925 ③マルコーニ ④無線通信 ⑤民主 ⑥周波数 ⑦テレビ
「ラジオ」という言葉の意味は、その地域・時代によって変化している。 これからも、その意味合いは変わっていくだろう。 「テレビ」も「インターネット」の登場により劇的に変化している。 メディアの歴史を眺めることは、現代のメディアについて考える際に有効である。 そして、メディアが人や社会に与える影響についても関心を持つことになるであろう。
結論
メディアの歴史を知り、現代メディアについて考えるべし!
小室 真司