ぼく、カフェバーを将来、経営するつもりなんですけど、そのコンセプトは・・
「学問を楽しめるディスカッション・バー」
みんなでワイワイ、学問トークをしたいんですよね。
得意な学問が何もないこのぼくが言うのも変ですが、学問好きの人たちが集まる店になったらいいな~って思ってます。
イメージは、18世紀初めのロンドンに沢山あったコーヒーハウスを現代風にした感じ。
え?
イメージが湧かない?
そんなあなたに贈る・・・
宮台直樹 新聞論入門問題集からの問題です
古くから、意識的に集められたニュースを文書にして人に渡す・売る、という行為はあった。
しかし、近代・現代のような新聞はなかった。
新聞が成立する基本的条件となったのは15世紀末の[① ]による印刷技術の発明である。
印刷技術の発明とその後の印刷産業の発展があり、16世紀以降、ヨーロッパ各地で新たに起きたことが書かれたパンフレットのような印刷物が流通され始めていた。
当時、ニュースがすべて活版印刷のメディアによって伝えられていたというわけではない。
ニュルンベルク、ベネチアなどの都市では、ニュースを手書きで複製し、人に販売する情報屋が成立していた。
ニュース出版を発展させたのは内乱や革命である。
特にイギリスの[② ]革命は、近代ジャーナリズムが成立するきっかけとなった。
このとき国王の権力が低下し、出版に対する[③ ]や一部の出版業者たちの伝統的な特権が機能しなくなったため、議会の演説や政治的動乱の情報が禁止を破って大量に印刷されていったのである。
その後、王政復古時代になると、印刷物に対する国家[③ ]は強まり、ジャーナリズムの成長が少しの間抑えられた。
1662年からの特許検閲法(Licensing Act)により出版法が確立したこともあり、ニュース本は検閲官が出版するものだけとなってしまう。
しかし、1688年の名誉革命頃から政党間の争いが政治の中心となると、再びジャーナリズムの影響力が増すことになる。
「権利の章典」が宣言され、王の命令ではなく、議会での政治が進む体制となり、出版[③ ]もゆるめられたのだ。
1695年に出版の免許制度が崩壊すると、新しいニュース出版物がどんどん創刊されていった。
[② ]革命の経験がもとになって、18世紀を通じ、ヨーロッパで一番早くイギリスの新聞が発展することになる。
そして、新聞が読まれていく主要な空間としての役割を果たしていったのがコーヒーハウスであった。
当時、コーヒーハウスでは何百という新聞やパンフレット類が自由に読め、客たちの間では激しい政治談議が毎日のように闘わされていたのだ。
夜遅くまでガス灯で照らされた部屋の中で最新のニュースが読める店まであったという。
そのうえコーヒーハウスは、ただニュースを読むだけの空間ではなかった。
雑誌や新聞を発行する者にとっても、コーヒーハウスは重要なニュース源であったのだ。
彼らはコーヒーハウスに出かけ、友人と話し、客同士の議論に耳を傾けて、ニュースのネタを探していた。
18世紀初頭、ロンドンには2000軒以上のコーヒーハウスがあった。(1000軒以下という説もある)
新聞の発行主のなかには、自らの新聞を無料でコーヒーハウスに配る者もいたという。
そこでは読み書き能力が十分でない人々も、口頭でニュースの内容を聞かせてもらっていた。
コーヒーハウスは、たんなる新聞閲覧所という以上に、近代ジャーナリズムがかたちづくられる[④ ]基盤だったのだ。
そして、展覧会場としての空間でもあった。
たった一杯のコーヒー代で、好きなだけ珍しい品々をゆっくり鑑賞できる機会を提供する店も多くあったのである。
世界中からモノや情報が集められ、展覧され、議論を発生させていく文化センターの役割を担っていた。
当時のコーヒーハウスは、文化情報だけでなく、経済情報が集まり、さまざまな取引も行われる経済センターでもある。
1688年頃に開店した[⑤ ]・コーヒーハウスでは、顧客のために「[⑤ ]・ニュース」という最新の海事情報を掲載した新聞を発行し、貿易商や船員などが集まるようになり、店が非常に繁盛した。
そして、次第に[⑥ ]引き受け業者が集まるようになり、取引の場としての地位を確立していった。
こうして培われたネットワークはやがて世界最大の[⑥ ]会社に発展していくことになる。
商談・密談・教養談義・文学批評・政治談議・芸術論・博打・おしゃれ・・・
すべてコーヒーハウスにはあった。
しかし、近代・現代のような新聞はなかった。
新聞が成立する基本的条件となったのは15世紀末の[① ]による印刷技術の発明である。
印刷技術の発明とその後の印刷産業の発展があり、16世紀以降、ヨーロッパ各地で新たに起きたことが書かれたパンフレットのような印刷物が流通され始めていた。
当時、ニュースがすべて活版印刷のメディアによって伝えられていたというわけではない。
ニュルンベルク、ベネチアなどの都市では、ニュースを手書きで複製し、人に販売する情報屋が成立していた。
ニュース出版を発展させたのは内乱や革命である。
特にイギリスの[② ]革命は、近代ジャーナリズムが成立するきっかけとなった。
このとき国王の権力が低下し、出版に対する[③ ]や一部の出版業者たちの伝統的な特権が機能しなくなったため、議会の演説や政治的動乱の情報が禁止を破って大量に印刷されていったのである。
その後、王政復古時代になると、印刷物に対する国家[③ ]は強まり、ジャーナリズムの成長が少しの間抑えられた。
1662年からの特許検閲法(Licensing Act)により出版法が確立したこともあり、ニュース本は検閲官が出版するものだけとなってしまう。
しかし、1688年の名誉革命頃から政党間の争いが政治の中心となると、再びジャーナリズムの影響力が増すことになる。
「権利の章典」が宣言され、王の命令ではなく、議会での政治が進む体制となり、出版[③ ]もゆるめられたのだ。
1695年に出版の免許制度が崩壊すると、新しいニュース出版物がどんどん創刊されていった。
[② ]革命の経験がもとになって、18世紀を通じ、ヨーロッパで一番早くイギリスの新聞が発展することになる。
そして、新聞が読まれていく主要な空間としての役割を果たしていったのがコーヒーハウスであった。
当時、コーヒーハウスでは何百という新聞やパンフレット類が自由に読め、客たちの間では激しい政治談議が毎日のように闘わされていたのだ。
夜遅くまでガス灯で照らされた部屋の中で最新のニュースが読める店まであったという。
そのうえコーヒーハウスは、ただニュースを読むだけの空間ではなかった。
雑誌や新聞を発行する者にとっても、コーヒーハウスは重要なニュース源であったのだ。
彼らはコーヒーハウスに出かけ、友人と話し、客同士の議論に耳を傾けて、ニュースのネタを探していた。
18世紀初頭、ロンドンには2000軒以上のコーヒーハウスがあった。(1000軒以下という説もある)
新聞の発行主のなかには、自らの新聞を無料でコーヒーハウスに配る者もいたという。
そこでは読み書き能力が十分でない人々も、口頭でニュースの内容を聞かせてもらっていた。
コーヒーハウスは、たんなる新聞閲覧所という以上に、近代ジャーナリズムがかたちづくられる[④ ]基盤だったのだ。
そして、展覧会場としての空間でもあった。
たった一杯のコーヒー代で、好きなだけ珍しい品々をゆっくり鑑賞できる機会を提供する店も多くあったのである。
世界中からモノや情報が集められ、展覧され、議論を発生させていく文化センターの役割を担っていた。
当時のコーヒーハウスは、文化情報だけでなく、経済情報が集まり、さまざまな取引も行われる経済センターでもある。
1688年頃に開店した[⑤ ]・コーヒーハウスでは、顧客のために「[⑤ ]・ニュース」という最新の海事情報を掲載した新聞を発行し、貿易商や船員などが集まるようになり、店が非常に繁盛した。
そして、次第に[⑥ ]引き受け業者が集まるようになり、取引の場としての地位を確立していった。
こうして培われたネットワークはやがて世界最大の[⑥ ]会社に発展していくことになる。
商談・密談・教養談義・文学批評・政治談議・芸術論・博打・おしゃれ・・・
すべてコーヒーハウスにはあった。
この問題は、下記の本を参考にして作成いたしました。
おすすめ メディア研究入門テキスト(参考書)
メディア文化論ーメディアを学ぶ人のための15話 改訂版
吉見俊哉 有斐閣アルマ 2012-12-15
メディアとコミュニケーションの文化史
伊藤明己 世界思想社 2014-09-06
答え
①グーテンベルク ②清教徒 ③統制 ④公共 ⑤ロイズ ⑥保険
どうですか?
ぼくが開きたいカフェバーのイメージを共有してもらえたでしょうか?
ぼく、こんなコーヒーハウス・空間が近所にあったら行きたいですよ、マジで。
ぼくの店、人が集まるどころか誰も来なかったりして・・
まあ・・・
ロイズ・コーヒーハウスみたいなことにはならないでしょうね・・。(苦笑)